息子にばかり目がいっていた
わが家には、障害のある息子のほかに、娘がいます。この記事は、その娘のことです。
息子のことで、毎日がいっぱいでした。学校のこと、デイサービスのこと、手続きのこと。気がつくと、私の目は息子にばかり向いていました。
娘は、小学5年ごろから、学校へ行かない日が増えていきました。中学に上がると、行けるのは週に2、3回、ときには週に1回ほどになりました。
私は、娘を放っておいてしまっていました。
「普通なんだから」という言葉
小学校の高学年から中学のころ、私は娘に、厳しく言ってしまうことが多くありました。
息子と違って、普通なんだから。勉強できるはずだ。そう思っていたからです。
今振り返ると、娘はずっと、比べられてつらかったのだと思います。自分でもどうにもできないことで責められて、苦しんでいたのだと思います。
親の「こうあるべき」は、本当のあるべき姿ではない
障害があってもなくても、人には得手不得手があります。
当たり前のことなのに、私は「普通なら、これくらいできるはず」という物差しで、娘を見ていました。親が思う「こうあるべき」は、本当のあるべき姿ではありませんでした。
傲慢だった自分に、今は嫌気がさします。
障害のある子だけが苦しいわけではありません。同じ家で育つきょうだいにも、きょうだいの苦しさがある。それに気づくのが、私は遅すぎました。
焦らなくて大丈夫、と伝えた
高校は、自分に合いそうな学校を選びました。娘は少し安心した様子でした。
けれど高校1年の今、また学校へ行けなくなってきています。週に1回行ければいいほうです。医療にもかかっていますが、まだ解決には至っていません。
積み重なってきたものを、親が理解して、受け止めて、少しずつ回復するのを待つしかない。今は、そう思っています。
娘には、資料をつくって渡しました。「今、立ち止まってもいい」「学校にも、大学にも、いろいろな道がある」「これからの人生は、まだまだこれから」。焦らなくて大丈夫だということを、言葉にして伝えたかったのです。
人生は長い。親も一緒に成長していく
人生は長い。寄り添いながら、焦らず進んでいくしかありません。親も、一緒に成長しながら進んでいくしかないのだと思います。
もし今、障害のある子のことで手いっぱいで、ほかの子に目が届いていないと感じている方がいたら。責めるつもりはありません。私もそうでした。
ほかの子に「普通なんだから」と言いそうになったら、一度だけ、飲みこんでみてください。その子にも、その子の得手不得手があります。
障害があってもなくても、子どもはそれぞれのペースで進んでいく。
そのペースを待てる親でありたいと、今は思っています。